レインボーというコンビの
「家にまで来たのにその気がない女に説教する男」コントを見た。
コントそのものの感想と、ふと見たコメント欄ですごく価値観が揺るがされたことの記録。
この動揺について、私はよく考えねばならない。
コントの内容はタイトルそのまま。
コンパ帰りの夜、男の部屋に女は来ている。
Netflixで面白い映画があるし、家で飲み直そうと誘われたのだ。
男はセックスする気満々なのだが、女にはその気がなく、誘いを拒絶。「私彼氏いるし。」
激昂した男が延々と女をなじり続けるコント。
「それマナー違反でしょ」連呼する男に
「何それ」「意味わかんない」「そもそも彼氏がいるのにあんたとヤったらマナー違反じゃん」「てか普通その日のうちに手出すとか」
見ている間は、男性とは信じられないほどの迫真の女性ぶりを見せる池田さんの演技と、怒涛の逆ギレをするジャンボにただ見入っていた。
そして、「私彼氏いるの」のカミングアウトに「そりゃいかんだろう」と思っていた。
彼氏がいるのに男のうちに上がるなんてそれはまずいだろうと。
一方でこの男のヤル気満々のモーションは実際キモい。家に来たなら俺にセックスさせるべきと主張を曲げない様も、よくそこまで恥ずかしいことを堂々とのたまえるな、と呆れる。
見終わり、月並みな感想を持った後、なんとなくコメント欄を開いた。
すると、「家に来ただけで合意って言うのがおかしい」「最初はいいかもと思っていたけど、ヤル気満々の男に萎えて彼氏がいると嘘をついたのだろう」「家に来ただけでセックスOKって解釈はおかしい」
少しハッとした。
まずは「私彼氏いるし」の解釈。
私は本たくさん読む割に、想像力に乏しいところがある。改めて痛感。
確かに、手を出されないための咄嗟の路線転換だったのかも。
それにセックスって惰性でこなせるような穏やかで楽しいことじゃない訳で。
流されてやれる範疇のアクティビティーではないわ。疲れるし痛い場合あるし、第一体裂けますし、妊娠の可能性もゼロにはできないし、信頼して慣れてるパートナー相手でやっとそれらのマイナスを相殺してコンディションによりプラスがちょっと残るかというところ。
だから当然体を許すかどうかというジャッジは慎重に、最後まで投げやりにならずに迷うべきなのだ。
キスがマックスの性行為である世界線だったらどんなに楽だったことか。
話は逸れたが、私が一番動揺したのは
「男の家に行く=女にとってセックスOK」という説を、私が女性でありながら何の疑いもなく受け入れてしまっていたことである。
コメント欄は私がぼんやり思っていたよりもずっと、男のその思い込みに対してNoの声を上げていた。
解釈や想像もなく私はこの通説を無抵抗に受け入れてしまっていた。それが女性に取って不本意である内容にも関わらず。
そのことがショックだった。
なぜ今まで疑いもなく、「男の家に行く=女にとってセックスOK」と常識のように見なしていたのだろう。
お風呂に入りながらつらつら考えた。
唸りながら。
出た結論は二つ。
1.その説だと男はまるきり性欲だるまな野蛮な生き物と思わなくてはいけない。それは虚しいので、対等な性として共存していくためにも、そのように性欲優位な説が堂々とはびこらないようになってほしいとの願い。つまるところ、男には「俺の性欲のためには我慢しろ」的な振る舞いはやめてほしい。
2.「男の部屋に簡単に行く女」という人物像に対し、尻軽だ軽薄だ 私は違う、という批判心があった。「私は正しく潔癖で倫理もしっかりしていますが」という仮想敵へのマウントから、同じ女という性に味方とならない説を受け入れてしまっていた。
1.関連のつらつら
それにしても「男の家に行く=女にとってセックスOK」って乱暴である。
まず男ってそんなにセックスしたい生き物なんだろうか。しょっちゅうそんなに発情していて、隙あらばやりたいと思っているのだろうか。
この説だと、男は基本ちんこである。そのことは人間の常識なのでご理解いただき、女性は状況に応じてやらせてください。と言ってるみたい。
男性が発情するのは致し方ないので、女性は諦めてください。って感じ。
そんな風に男性という性を野蛮な動物として見なしていいんですか?
もちろん性欲は個人にバラつきはあるだろう。
しかし、なんとなく男は女に比べてセックスしたい度が恒常的に高い気がする。
でもそれって本当なのかな?そんなことないと思いたい。でなければ汚く感じてしまう。馬鹿にしてしまう。
あと、いつから家はヤリ場になってしまったのだろう。
あぁ、男女が二名揃うと、性的な可能性が生じることが疎ましい、憎い。
蜜柑を剥きながらつらつらと喋り続ける、ぬるいお茶のような感じで続く関係を築けないものか。
余談だが、私は恋人との電話が好き。
電話だとセックスにならずにダラダラ喋り続けられるから。恋人相手でも、発情され始めた瞬間て「あーあ」って必ず少し思ってしまう。
場所を隔てて話す電話だと、肉体的接触なしに、沈黙もただの沈黙として定着するし、しゃべることだけで完結できるので、満足。
時間潰しのYouTubeで思いの外自分の認知について揺るがされることになった。
いかに無批判に間違った説も受け入れてしまっているか。
他人にマウントをかけるよりも、少しでも互いの味方になれるように、他者に優しいことが当たり前の社会構造になるように、今ある価値観に対して常に考え続けなければならない。
はー疲れた 寝よ