さすがにアヒージョ

最愛の人が何人もいるタイプ

洗いきれない味噌汁茶碗


星野源の初期のアルバムを聴くと、これは祖母宅のバランス窯お風呂。


気が弱くてすぐにお腹を壊す。バイトに行きたくないと駄々をこね、畳に転がる。百円ショップで買った味噌汁茶碗はきれいに洗い切れてなくて、味噌の名残がこびりついてる。


星野源のそんな曲の雰囲気が好きだ。


冴え切ることのない日常だけども、自分が安心できることは何なのかわかり始めている。


今の星野源の曲はその時とはジャンルも音も違う。寂しいが、過去の曲な無くなったわけではない。


もう会えない人や、美化する時期も終わって褪せていく思い出でも、過去に存在していたことは消えない。不思議かつ、事実というものの消えなさは厄介で動かし難い。


どんなに洗練された顔つきになっても、畳に転がっていた、遠くの銭湯の煙みたいな心細さを音にしてくれたあの日々の星野源にはありがとうと思ってる。