さすがにアヒージョ

星野源と重岡大毅とケンティーと餃子で理性が飛ぶ。

洗いきれない味噌汁茶碗


星野源の初期のアルバムを聴くと、これは祖母宅のバランス窯お風呂。


気が弱くてすぐにお腹を壊す。バイトに行きたくないと駄々をこね、畳に転がる。百円ショップで買った味噌汁茶碗はきれいに洗い切れてなくて、味噌の名残がこびりついてる。


星野源のそんな曲の雰囲気が好きだ。


冴え切ることのない日常だけども、自分が安心できることは何なのかわかり始めている。


今の星野源の曲はその時とはジャンルも音も違う。寂しいが、過去の曲な無くなったわけではない。


もう会えない人や、美化する時期も終わって褪せていく思い出でも、過去に存在していたことは消えない。不思議かつ、事実というものの消えなさは厄介で動かし難い。


どんなに洗練された顔つきになっても、畳に転がっていた、遠くの銭湯の煙みたいな心細さを音にしてくれたあの日々の星野源にはありがとうと思ってる。

ビリ風呂極めてほぼ水


見事 玉砕。

鬼滅の刃 GUコラボの服、買えなかった。

静かに、しかし確実にうきうきしながらGUへ。

「整理券次は20時15分です」

今18時前なんですが…

厳しい!

服の前にゴールテープあるの初めて見た。

否、keep outのロープ。


服にも整理券ってあるんだ。

しかも高価格帯ではない商品について。

ジルサンダーコラボやプレミア付きのスニーカーなど、縁なかったがまさかアニメコラボで。

ハードル高い。


急に鬼滅缶の優しさがわかった。

自販機ですぐ買えるなら、終わる前に一度買おう。


買えなかったショックで、急にリュックの重さがどっと来た。さっき飲んだアイスコーヒーのカフェインのせいで?へどが出る。

露骨に狼狽している。


戦利品なしで帰宅とは引っ込みがつかぬ。

別の欲しかった物を買い、挽回。

横目にいるお客、パパ活っぽい。

それはそれとして、マスクの下でへどが止まらぬ。

こわいこわい。


風呂釜の汚さににわかに敏感になり、いつぶりかわからぬスポンジ磨き。

このサイレントヘドはきっと肩こりによるもの。


遠慮なく一番風呂。

やっぱ一番風呂って不自然ではない温かさが整っていて、気持ちよさが違う。

ビリ風呂を極めてほぼ水、なことが多い日々の中、新鮮に感動。


最近、自分の中でハマりがちな傾向。

「耐えつつその先の快感を追求する」

耐えてる間はちょっと辛いし、煩わしい不快もあるのだが、良薬口に苦し的な。

よく効く気がする。


例えばそれは42度のシャワー。

うちの42度設定はしっかり熱くて、まるでシャワー向きではない。絶え間なく浴びるには熱すぎて、終始体が熱がってる。痛い寄りの感覚。

但し、これが脳内で変換され

「今風呂に入ってる!そしてすごく汚さが強く取り除かれている!」という満足感となる。


耐えつつその先に期待する、パート2はクソドラマ。

明らかにダサいと感じる、耐え難い表現、とにかくもう付き合いきれんわと思うのに、そのイラつきを宥めながら見通すことに特訓性を見出してる。

今日も耐えたぞ!という達成感、無駄。

一方、諸手を挙げて喜びたくなるような傑作ドラマは、何故か続けて見ることができない。

何故…。

一回で満足してしまうからか?


私にとってのドラマ鑑賞とは、適度に文句を言いながら見る、罪のない毒素出しの時間なのかもしれない。


文句を言うことが一つの娯楽になっているのは確か。対人にはしないけど。

多分その中で本質的に私が好きなのは、ぼんやりした気持ちを完璧に言語化して料理すること。

気持ちや状況の本質を的確に拾うこと。

あわよくば喋り相手がクスッとできるような楽しい風味にできたら。


眠くなってきたけど、このあとはヒプノシスマイク。

オープニングの池袋三兄弟のダサいキックポーズを見届ける金曜日夜だ。


今週もようがんばった。

連休始まるよー!!!

恋が始まるよー!!!って、SexyZoneの曲好き。

恩田陸「木曜組曲」感想


恩田陸著 「木曜組曲」読了。

木曜組曲 〈新装版〉 (徳間文庫)

木曜組曲 〈新装版〉 (徳間文庫)

耽美派の大家、小説家の重松時子が死んだ。

彼女が死んだ木曜日、主人なき館に毎年集まる5人の女たち。

異母妹、その姪、血の繋がった直接の姪、そのまた異母妹、編集者。

時子の死は自殺か、それとも殺人か。

疑い、畏れ、尊敬。それぞれが抱く愛憎と矜持が、燻っていた疑惑の蓋を開ける。


物書きの業とプライドが、血の呪いを乗り越えていく心理ミステリー。

不穏にも関わらず、5人の女たちの調和も不協和音も愉しめる。

5人は賢明にして謎に対して好戦的、時子という呪縛を背負う同胞として連帯する。

弔いの三日間、彼女らは終始己と向き合うことになる。物書きとして生きていくことを選ばざるを得なかった自分、常に越えられない壁・天才時子の影。


女たちが非常によく飲みよく食べる。頭を使い続けてあぁでもないこうでもないと言葉を交わし合う様が好きだ。

江國香織の「思い煩うことなく愉しく生きよ」も、女たちがとにかくよく飲みよく食べるが、それ以来の豪快でしつこい飲み食いぶり。

同じ対象に畏怖を感じつつ、昇華方法は各々異なる表現になる。境遇を供にしつつも、結局は一人一人独立して進みゆく有様は、姉妹的でまさに若草物語だ。互いのクセの強さに怯みつつ認め合い、憎からず思う関係性。女たちの密やかに張り巡らされた尊敬と競争心、しかし惑わされずに己の道を極めようとする芯の強さが読んでいて頼もしい。


今回、脳内キャスティングも大成功。


時子:麻生祐未

死んだ耽美派女流作家。強烈なカリスマ。

死後も簡単には遺された者たちを解放しない蛇のような人間。


静子:長谷川京子

時子の異母妹。リーダー格。芸術系出版プロダクション社長。

華麗な容姿にして明晰、抜け目ないことこの上ない、敵に回したくない人物。


絵里子:松たか子

静子の姪。ノンフィクションライター。冷静かつ泥臭く思考し続ける探偵役。時子と唯一血の繋がりがない。

ものすごいヘビースモーカー。


尚美:深津絵里

時子の姪。神経質なお嬢様タイプ。

湊かなえのような売れっ子主婦作家で、サスペンスの名手。叔母への追慕がコンプレックスにも。

人一倍自分の書くものへの執念深さとプライドがある。


つかさ:小池栄子

尚美の異母妹。

川上未映子風な若手純文学作家。

歯科技工士のかたわら、描き続けていた小説で芥川賞的な受賞で鮮烈デビュー。

一番ツンケンしている末っ子と見せかけて実は繊細。


えい子:斉藤由貴

編集者。時子を見出し育て、二人三脚で盛り立てた。時子の死後も館に住まい、弔いの木曜日に皆を出迎える。料理に達者で三日間怒涛のもてなしを見せる。とにかく作品を取ることに貪欲。


甘く見られない、ただでは転ばない曲者ばかりである。

結末に驚かされつつ、彼女らの連帯と自負のぶつかり合いが非常に好ましかった。

緩やかな緊張の心地よさが続く、女たちの豪華競演の一作。

家まで行ったらOKになるのか、に揺れた


レインボーというコンビの

「家にまで来たのにその気がない女に説教する男」コントを見た。


コントそのものの感想と、ふと見たコメント欄ですごく価値観が揺るがされたことの記録。

この動揺について、私はよく考えねばならない。


コントの内容はタイトルそのまま。

コンパ帰りの夜、男の部屋に女は来ている。

Netflixで面白い映画があるし、家で飲み直そうと誘われたのだ。

男はセックスする気満々なのだが、女にはその気がなく、誘いを拒絶。「私彼氏いるし。」

激昂した男が延々と女をなじり続けるコント。

「それマナー違反でしょ」連呼する男に

「何それ」「意味わかんない」「そもそも彼氏がいるのにあんたとヤったらマナー違反じゃん」「てか普通その日のうちに手出すとか」



見ている間は、男性とは信じられないほどの迫真の女性ぶりを見せる池田さんの演技と、怒涛の逆ギレをするジャンボにただ見入っていた。

そして、「私彼氏いるの」のカミングアウトに「そりゃいかんだろう」と思っていた。

彼氏がいるのに男のうちに上がるなんてそれはまずいだろうと。

一方でこの男のヤル気満々のモーションは実際キモい。家に来たなら俺にセックスさせるべきと主張を曲げない様も、よくそこまで恥ずかしいことを堂々とのたまえるな、と呆れる。


見終わり、月並みな感想を持った後、なんとなくコメント欄を開いた。


すると、「家に来ただけで合意って言うのがおかしい」「最初はいいかもと思っていたけど、ヤル気満々の男に萎えて彼氏がいると嘘をついたのだろう」「家に来ただけでセックスOKって解釈はおかしい」


少しハッとした。

まずは「私彼氏いるし」の解釈。

私は本たくさん読む割に、想像力に乏しいところがある。改めて痛感。

確かに、手を出されないための咄嗟の路線転換だったのかも。

それにセックスって惰性でこなせるような穏やかで楽しいことじゃない訳で。

流されてやれる範疇のアクティビティーではないわ。疲れるし痛い場合あるし、第一体裂けますし、妊娠の可能性もゼロにはできないし、信頼して慣れてるパートナー相手でやっとそれらのマイナスを相殺してコンディションによりプラスがちょっと残るかというところ。

だから当然体を許すかどうかというジャッジは慎重に、最後まで投げやりにならずに迷うべきなのだ。

キスがマックスの性行為である世界線だったらどんなに楽だったことか。


話は逸れたが、私が一番動揺したのは

「男の家に行く=女にとってセックスOK」という説を、私が女性でありながら何の疑いもなく受け入れてしまっていたことである。

コメント欄は私がぼんやり思っていたよりもずっと、男のその思い込みに対してNoの声を上げていた。


解釈や想像もなく私はこの通説を無抵抗に受け入れてしまっていた。それが女性に取って不本意である内容にも関わらず。

そのことがショックだった。

なぜ今まで疑いもなく、「男の家に行く=女にとってセックスOK」と常識のように見なしていたのだろう。


お風呂に入りながらつらつら考えた。

唸りながら。

出た結論は二つ。


1.その説だと男はまるきり性欲だるまな野蛮な生き物と思わなくてはいけない。それは虚しいので、対等な性として共存していくためにも、そのように性欲優位な説が堂々とはびこらないようになってほしいとの願い。つまるところ、男には「俺の性欲のためには我慢しろ」的な振る舞いはやめてほしい。


2.「男の部屋に簡単に行く女」という人物像に対し、尻軽だ軽薄だ 私は違う、という批判心があった。「私は正しく潔癖で倫理もしっかりしていますが」という仮想敵へのマウントから、同じ女という性に味方とならない説を受け入れてしまっていた。



1.関連のつらつら

それにしても「男の家に行く=女にとってセックスOK」って乱暴である。


まず男ってそんなにセックスしたい生き物なんだろうか。しょっちゅうそんなに発情していて、隙あらばやりたいと思っているのだろうか。

この説だと、男は基本ちんこである。そのことは人間の常識なのでご理解いただき、女性は状況に応じてやらせてください。と言ってるみたい。

男性が発情するのは致し方ないので、女性は諦めてください。って感じ。

そんな風に男性という性を野蛮な動物として見なしていいんですか?

もちろん性欲は個人にバラつきはあるだろう。

しかし、なんとなく男は女に比べてセックスしたい度が恒常的に高い気がする。

でもそれって本当なのかな?そんなことないと思いたい。でなければ汚く感じてしまう。馬鹿にしてしまう。


あと、いつから家はヤリ場になってしまったのだろう。

あぁ、男女が二名揃うと、性的な可能性が生じることが疎ましい、憎い。

蜜柑を剥きながらつらつらと喋り続ける、ぬるいお茶のような感じで続く関係を築けないものか。

余談だが、私は恋人との電話が好き。

電話だとセックスにならずにダラダラ喋り続けられるから。恋人相手でも、発情され始めた瞬間て「あーあ」って必ず少し思ってしまう。

場所を隔てて話す電話だと、肉体的接触なしに、沈黙もただの沈黙として定着するし、しゃべることだけで完結できるので、満足。


時間潰しのYouTubeで思いの外自分の認知について揺るがされることになった。

いかに無批判に間違った説も受け入れてしまっているか。

他人にマウントをかけるよりも、少しでも互いの味方になれるように、他者に優しいことが当たり前の社会構造になるように、今ある価値観に対して常に考え続けなければならない。


はー疲れた 寝よ

鬼滅にハマった一週間の記録と好きなところ


今週を振り返ると、鬼滅と出会い熱狂した一週間だった。

11/7(土)昼:鬼滅コミックスを1〜3巻を読む

   夜:Netflixで鬼滅を見始める

11/10(火)アニメを全話見終わる

11/12(木)アニメ二周目見終わる

11/14(土)劇場版を見た


夢中になり、興奮の一週間だった。

f:id:hasunosugita:20201114233239j:plain

炭治郎が非常に強い。

思っていた10倍強い。

即戦力。

おまけに人間ができている。

見上げた精神性の高さ。

そして意外なことに、ユーモアもある。

炭治郎は生真面目だが、妙なユーモアがある。

シリアスに飲み込まれない冷静さ。

異常に冷静であるとも言える。

戦闘中でも我に返って、鬼のキモさに新鮮に引いたり、イキがってくる伊之助を立ててやったりする。余裕があるのだ。

物語の序盤から善戦する炭治郎のたくましさは、感心通り越して笑えてしまう。


炭治郎の類稀なる優しさも見どころ。

鬼にすら慈悲をかけ、死にゆく姿を悼む。

容赦なく戦い抜くが、敗者への敬意がある。

鬼の苦しみにも想いを馳せ、涙する。

おくりびと

無念を汲み取り、成仏を祈るのだ。


炭治郎の絶対に諦めない姿も、見るたびに胸を打たれる。

日々の戦闘の苛烈さに感覚を麻痺させることなく、あくまでも犠牲を最小限に抑えようとする。


何か必ず突破口はあると信じる、そして考え続ける。なんて強いんだ、、、解決法は考え続けること、歩みを止めないことでしか生まれない。

しかもさー、それで思いついちゃうんだから炭治郎は賢いよ。状況分析能力に長けている。


以上のような炭治郎の人間力に感銘を受け、アクスタは炭治郎のものを買いました。

上映前にグッズを見に行ったときは善逸かわいいな、と思ってたけど。

映画を見たら炭治に改めて強い尊敬の念を感じたので記念に。

今うちのケンティーの横で朗らかにパンフとチュロスを手に立ってるよ炭治郎。

f:id:hasunosugita:20201114233059j:plain

劇場版は感動だった。

煉獄さん…

かっこよすぎる。

あまりに失いたくない大きな存在。

圧倒的光。

本当に悔しかった。

そのキャラクター、あと20話くらい味わい続けたかった。



その生き様に拍手喝采させてくれということで、煉獄さんソロクリアファイルも買った。

今私の机の上でギンギンの目をしているよ煉獄さん。


鬼滅ってセリフ回しやキャラの態度が面白い。

どのキャラも満遍なく雄弁。

炭治郎のみならず鬼側も。戦闘中の彼らのモノローグはさながらスポーツ漫画。

ものすごく状況を分析した実況。

なぜ自分が劣勢なのか、相手の強さの秘訣など。

その言語化の精度の高さと、そこまで冷静でいられるのかという可笑しみもあり。

匂いから心まで読み取れる炭治郎はもはやソムリエ。鬼もソムリエ。


はーもうねむい。

突然鬼滅濃度が上がった部屋でもう寝ます。

大好き!

散歩の運命



その人と一緒の時、私はとにかく歩く運命にあった。

今日は体調がいまいちだから

洒落た服にパンプスだから

優雅にしてたいから


歩かないよ

と決意しても気づけば、私は長いこと歩く一日を過ごすのだった。


昨日は気分・体調ともに「遠出はしないからね」と釘を刺すべき調子だった。


それなのに私は城の周りの草むらの階段を必死で登っていた。砂利と草の鬱蒼とした傾斜に大きな石が埋まっている、階段とも呼べない代物だった。


おろしたてのスカートも、履き慣れてるとは言えあのパンプスも、まさかこれ程大股で石段を登るとは思っていなかっただろう。


もっとたちの悪いのは、そんな道を歩くことになるのは私自身のせいであることも多いこと。

こちらの道だと思う、と進んでそちらが山道だった。

この店はうるさそうだからやめよう、と街を彷徨う。


じたばたせずに佇むことも簡単だと思う。

それでももっと良くなるはず、と期待する気持ちを引っ込められない。


最終的に一日の終わりにはくたびれ果ててるのだけど、共にいると旅になるように出来ているのだと思う。


アラフェス楽しかった!嵐の日思い出


アラフェスすごく楽しかった!

今とても素直に、ただハッピーだけがある。

この感動を残しておきたいから備忘録。

レポではなく感想メモ。反芻用に。


★全員すごくかっこよかった


いつもに増して一段と輝きを放っていた。

何より私の祖アイドル、櫻井翔様 すごくかっこいい。櫻井様、不死鳥の如く何度でもかっこよさを取り戻されるお方…

TABOOなんて披露当時を凌駕する勢いだった。

要所で完璧にかっこよくカムバックされる櫻井様、本当に感動&ありがとうございます。

Vネックの服を多用されていて、首筋かっこいい。

通称カダフィ大佐衣装、(そう呼んでるのは私だけ)大興奮。

TABOOのパフォーマンスや櫻井くんのラップは私の興奮の原点。嵐に出会った12年前の思春期。

ラブソングやちょっとエッチな歌詞とかにいちいち大興奮していた覚えが。

時計じかけのアンブレラとか。

嵐って本当に櫻井くんのラップが雄弁。

嵐の曲に意志を宿すその堂々とした佇まいが大好き。


★歌がうまい

嵐… なんて歌がうまいの〜!

知ってたけど。でもこんなに安定して上手いとは。リーダーの歌唱は神がかり。声の清さにハッとする。一筋の光。

ニノの虹も極上。何度も聴いていた当時が蘇る。優しく伸びやかで切ない歌声が曲にぴったり。会場に響き渡る虹、なんて感動的なんでしょう。


もうみーんな誰がソロパート回ってきてもうまくって感動した。連帯感。嵐の歌声、安心する。

大野くんと翔くんのユニゾンが好きだな。太い翔くんの声と美声の重なりが、頼もしくも清らか。


★曲が良い

思い出スイッチを連打されてるのかというくらい、どの曲も身に染み付いていた。

私が嵐の熱いファンだったのは2008年〜2013年頃。距離を置いての応援となって久しい。

それでもやっぱり、アラフェスで選ばれた曲はほぼ全部思い出深く大好きなものばかり。

僕が僕のすべて」「season」はauのCMが懐かしい。auショップでカタログをもらってきては、表紙を切り抜いて下敷きを作ってた。

学校からの帰り道、嵐の曲が支えだったことを思い出す。

離れて長いと思っても、ファイトソングの掛け声やカーニバルナイトやお決まりのコールアンドレスポンスが自然と口をついて出る。今もファンですヅラさせてくれる懐の深さがありがたい。

やっぱり私は嵐育ち!ジャニーズの楽しさを教えてくれて、最初に夢中にさせてくれたのは嵐だった。


★盛大な演出で年越し

容赦ない花火の連投と、豪華なフィルハーモニーの演奏により3回ほど年越した。

Jが指揮するのかと思ったら、本職マエストロの登場。Monsterはゴシックさに拍車が掛かり、truthは個人の復讐という規模からスケールアップして、もはや大戦レベルの壮大さ。

花火の激しさは笑うしかない。

確かにあれは試合止まる。

勝手に五輪開幕。

客席が唐突に海になり、衝撃。


★王者なのにやさしくてずっと和やか

ステージ上では常に「伝説の5人」なオーラ。圧倒的。

しかし強くてやさしい。やさしさを持って強い。

眼差しの力強さ、あくまでも俊敏なダンス、国立をホームとする経験値。

ひれ伏すしかないような王者だけど、親しみはなくならない。身内のように思える気さくがずっとあって、それが嬉しい。なぜ両立できる。

嵐がしゃべってる時に、翔くんがここで皆笑わすぞって力を入れて、そのまんま皆がウケてる時の雰囲気がたまらなく好き。翔ちゃんてムードメーカー。あと大野くんは自分からは話さないけど、口を開けば決まってひょうきんなの、いとしい。


★衣装が素敵だった

いつになく素敵だった衣装。

嵐と言ったら衣装ダサいと思ってた。

今日はパート1も2も、ずっと おっこの衣装いいじゃん!と。

仕立てのやさそうなジャケット、ベースは落ち着いた色で、ワンポイントで綺麗な色彩があったり、襟にラインが入っていたり。

オーケストラコーナーで着ていた衣装が王子様みたいで素敵。

やけに翔くんに似合うなこのジャケット、とうっとりしていたら、大野くんデザインのものだったので満足のため息が出た。


★総括

ずっと楽しかった。曲も楽しいし、パフォーマンスの好きだと感じていた部分が損なわれず完璧に再現される喜び。大規模で未知の演出に固唾。

「かっこいい」とこまめに声に出しちゃわざるを得ないほど仕上がったビジュアル。

5人の連帯感がもたらすハッピーな満足感。

こんなに幸せにしてもらえてええんじゃろか、ありがたい。これからもずっと好き。嵐から大きなプレゼントをもらえた気分。彼らが満足いくかたちで活動し切れますように。

21年おめでとう。そしてずっと、ありがとう。