さすがにアヒージョ

最愛の人が何人もいるタイプ

不調初日の長い夜

水曜日に会社で働いていると、昼前くらいからにわかに咳が出始めた。こりゃいかんと思い、通勤時の暑さからそのまま外していたマスクをカバンからそっと取り出して着けた。そういえばその日の朝、麦茶を一口飲んで激しくむせていたのだが、今思えばあれは不吉な前兆だったのかもしれない。

お昼を食べながら、帰りに絶対病院に行こうと決意した。決意のみならず、家族LINEに宣言。「少し咳が出るので帰りに病院に寄ってきます。」5分と経たずにギョッとした顔のリアクションスタンプが押され、家族に静かな動揺が走ったであろうことが伝わった。食べ終わると、夜も診察している近所の病院を検索し始めた。しかし、体調不良度満点の不穏な検索内容を悟られたくなく、同僚が背後を通る際は咄嗟にYahooのトップ画面に切り替えたりと虚しい努力をしていた。そんなことをしなくても盛大に咳き込んでいるので全くもって無駄な努力である。

 

定時ぴったりに上がり、目星をつけた病院めがけ猪突猛進に歩いて行った。大通り沿いにあると思われるのが地図を読めない自分にもありがたく、階上の窓にお目当ての病院名を認めて喜び勇んで入口へ向かった。しかし、自動ドアが開かない。接触不良かしらん?と鼻息荒くもう一度ドア前に仁王立ち。が、開かない。おかしい。おかしい。焦ってドア前の看板を見ると、診察は5分前に終了していた。話が違う。20時までって言ったじゃないか。ネットはこれだからイヤだ。ガックリ項垂れて駅に向かう。夜診察しているところは思ったよりないのかもしれない、甘かった、と絶望と焦りが込み上げ思わずえずいた。

ヨボヨボ乗車し、私は引き続きオエオエえずきながらスマホで再検索をかけ始めた。隣に座っていたサラリーマンは始めノーマスクだったが、検索と咳き込みを猛然と両立している私に気圧されてマスクを装着していた。うん、それでいい。存分に自衛してくれ。

 

たどり着いた病院は8割型飲み屋が入っていると見受けられる雑居ビルで、エレベーター前にはこれから飲みに行くであろうサラリーマン5人衆がうきうきと会社での出来事なぞを語っていた。彼らは重い咳をした私が同乗すると石のように黙った。先に降り立った私のフロアが目に入っただろうか?満杯の待合室は彼らに警鐘を鳴らしたに違いない。

 

ここからの時間は苦難に満ちていた。19時50分に入場。初めてです、と伝えると、何と受付も保険証の提出も全て専用アプリで自身で手続きせよと言うのだ。アプリ…。QRコードを読み込めとのこと。最近居酒屋でもお前のスマホから勝手に注文しろよな!というスタイルが増えていて、いつ私のスマホを使っていいと言ったか!と毎度鮮烈に怒っていたのだが、今はその元気もない。力なくカメラを立ち上げる。しかし、見た感じ2割くらいしか進まないアクセス、シーン。再読み込みしてもシーン。遅々として進まぬ。そうしている間にもどんどん新たな患者が訪れる。「あの、アクセスできなくて…」と弱々しく受付に訴えると即座に「これWi-Fiが書いてありますのでお渡ししますね!」と紙を渡される。あーもう。アプリのダウンロードのフェイスIDに三回連続で失敗。おまけに「今ですか?40分待ちくらいですね」という声が聞こえて絶望する。ええい、やぶれかぶれだ。紛失に怯えながら膝に乗せた保険証を写真に撮り、次のページでは、今日の症状「咳が出る」はマストとして「喉が痛い」のか?痛くないけど咳だけ勝手に出るよ…いや咳しすぎて喉も痛くなってきたかも?ともはや自分を見失う。なんとか回答を終え、「受付完了!」という文字を見てぐったりとソファに沈む。疲れた…。しかし、こんな時間に診てもらえるし仕方ないよな、と卑屈に自らを納得させた。

周りを見渡すと狭い待合室にこれでもかというほど人が詰まっている。歓楽街近くということもあってか、会社帰りのサラリーマンのみならず、外国人観光客やホスト風の男、これ終わったら行きつけのホストクラブにでも行くのかな?と言った風体の女の子もいる。恐ろしいのはこれだけ咳WBC決勝というほどの院内において、マスクをしていない者が実に3割ほどいたことだ。大丈夫なのか…?私の上司は先日、喉の痛みが治らないからと言っていつも通りのノーマスクで病院に突撃して普通に追い返されていた。が、ここは歓楽街近くという土地柄もあってかおおらかで、ノーマスクな者もめいめい、この病の館に挑戦していた。

待っている間Twitterのタイムラインを久々に閲覧。読んでいるうちに不快さがしんしんと降り積もり、やっぱTwitterってゴミだな〜という結論に至る。心が荒んでいるのでnew jeans 中卒、などと検索し、己のゴミさを高めた。積極的に自分を落ちぶれさせたい気分だった。他には最近友人から小耳に挟んだジャニーズの自撮りファンサ炎上事件も検索。ジャンキーなネットサーフィンで世界一不毛に時間を潰した。

Twitterとインスタの反復横跳びにも飽きた頃、手ぐせでふとGmailを開いたところ目に飛び込む「問診票が届いています」受信時間は約1時間前。サッと血の気が引いた。もしかして これ送信してないと 永遠に 呼ばれない?私 ずっと 無駄に ここに 座ってたの? リセット?ここからさらに 1時間とか?ショックで気が遠くなりながらヨボヨボと5歩先の受付へ。「あの、これ問診票気づいてなかったんですけど、、、順番受付られてないですかね?」と蚊の鳴くような声で問うたところ「大丈夫です!順番は来院した順なのですでに受付られてますよ!」とのこと。安心しつつもうヤダ普通にそっちで手続きしてくれよ嫌い嫌い無理、と胸中でギャン泣き。

待っている間、背後から格の違う咳が絶え間なく聞こえてきて、否応なしに緊張が高まる。もはやここで純度の高い新たな菌をいただきそうだ。いや、落ち着け、マスクを信じろ、そもそも私既に何かに罹患してるっぽいし大丈夫、と脆弱過ぎる根拠で己を奮い立たせた。20時35分。「まだ呼ばれない」という家族グループ宛LINEはもう二通目になっていた。

 

ようやく呼ばれた。「今日はどうしましたか?」と聞かれ、「今日の昼前くらいから咳が出始めて…この週末旅行したりスポーツ観戦したりしてたので…」などと言わなくてもいい懺悔までしてしまう。喉が少し腫れてますね、とのこと。コロナとインフルと溶連菌を一括して確認できる検査をすることになった。
10分後くらいに検査に呼ばれた。例によって鼻を貫かれること2セット。喉を拭われること2セット。淡々と処置してくれる看護師さん。こんなことをやらせてしまって…と内心で必要以上に恐縮し、すごすごと退室。

15分後、運命の結果発表。「えー検査しまして特別な治療が必要なコロナ」え終わった「インフル、溶連菌ではありませんでした。」ありませんでしたかい!!!心臓に悪いわ。「するとただの風邪ってことですか?」とすぐさま言質を取りに行く私。「そうですね。」とりあえずほっと胸を撫で下ろし、薬はなるべく日数多めにいただきたい旨訴えた。会計の予想外の高さに動揺しつつ21時30分。受付から1時間40分で、ついに私は病院を後にした。

 

薬局への道すがら、ある一角に異様な人だかりができていた。見ると、しょんべん横丁の入り口を前に外国人たちが大挙し、写真撮影をしていた。こんなところが人気なのか…。I am desease.などと話しかけたらどうなるかな、などとよからぬことを考えた。ようやく、24時間営業の薬局に辿り着くと、目に飛び込んできた「ただ今の待ち時間:30分」の文字。ハハ……そっすよね。24時間営業してくださってますしね…。まぁでもほら!本当はもっとすぐ呼び出せるけど、バッファを持たせて30分表記なんですよね?私だって本当は今日中に完成させられる書類でも、納品日は来週に設定してるじゃんね!?それと同じ!などと強引な解釈で己を慰める。まわりを見ると先ほどの院内でも見かけた顔ぶれがちらほら。院内仲間①ノーマスクの女の子がアイライン片手に抜かりなく化粧直し中である。一体この子はどこが悪いんだろう。さらに、院内仲間②である東南アジア系のカップルもやって来た。彼女の方が重い咳をしているのだが、その出立はタンクトップ・ショートパンツ・腹出しとほぼ裸みたいな格好で、これでは治るものも治らない。彼女は30分待ちの張り紙を見るや否や、顔を顰めながら彼氏に早口で状況を伝えていた。一旦外出することにしたらしい二人だが、店外へ歩き出した彼女が大胆にもズボンの中に手を突っ込み盛大にお尻を掻き始めた。びっくりして、私は目が離せなくなった。すぐ後ろについてる彼氏は何食わぬ顔でノーコメントである。そのままお尻に手を突っ込んだまま、彼女は往来に消えていった。

その後も受付で「マウントフジに登ったのだが足を怪我した」と言ってるっぽい英語のお客さんのサンダルの足を眺めたりして、そりゃ無謀だろと改めて外国人観光客の無鉄砲さに震えたりした。困っている彼らにとってこの国は優しいだろうか?


「今度は薬局で待たされてる」との私の悲嘆LINEにも家族の反応は鈍く、もはや返信をくれるのは父のみである。そのほかの面々は、先刻のコロナ陰性の報告を見て満足したのか、以降のリアクションは既読のみ。同情乞食となった私は友人にもLINEした。即座に優しい返信が来て内心涙する。症状も無論辛いが、それ以上にこの待ち続ける状況事態にダメージを受け始め、私は悲壮感に打ちのめされていた。

 

22時。ようやく薬の処方も終わった。ぐったりと薬局を出ると、場所柄がお店をやっていると思しき女性からチラシを押し付けられそうになるも、人生一の地蔵化を行いスルー。私は病気なんですよ。不意に後ろから、飲み会終わりと思われるニーちゃんの会話が耳に入った。「彼女にも気を遣うよ。私といても楽しくないの!?とか思われちゃうじゃん。」「あーまぁ自立って大事よな」「自立してても自立してる同士でまた寄りかかっちゃう。」「やっぱどんな人間関係でもさ〜大事なのは遊びよ!」「ディスタンスな!」「そうそう距離感」
そうか、大切なのは遊びなのか。私は金言を与えてくれた主を確かめるべく、さりげなく一度振り返った。思ったより二倍ほどチャラいニーちゃん二人組だった。信号が青になる。「じゃぁまたな!ありがとー!」別れていく二人。私は何となくこの二時間が報われたような気持ちになり、長い横断歩道を渡り始めた。