去年の今頃、私は教習所にいた。
取れない免許に途方にくれ、
季節は秋から冬、2017は2018になった。
暗くなった敷地内のコースを走る車のライトはきれいで寂しげだ。
夜を照らすまだ免許のない者たちが発する光。
ロビーは空港の待合室のようだ。
ただし、旅立つ前の高揚感はそこにはない。
教習開始を待つ生徒たちの様子はただ事務的。
欠便で放り出されてしまった旅客たち。
私の中で二大ふと思い出す音がある。
ひとつが富士急ハイランドの場内放送のメロディー。
もう一つがここ教習所のチャイムだ。
どちらも思い出すとむやみに感傷的になり、その意味のなさにびっくりする。センチメンタルがわからない。
とにかく。
教習所である。
去年の今頃はオリンピックだった。
冬季のオリンピックというのは夏季の盛大なやかましさはかく、各種目が粛々と日々行われている印象がある。
その中でも注目を一身に背負っていたのは羽生くんだ。羽生結弦。
彼の演技の日もまた私は教習所。
大きなテレビに感謝する。
羽生くんは見るたびに眼光が鋭くなっており、悪魔めいた印象すらある。
否、悪魔すら視線ひとつで殺せるだろう。相剋の極みで、もはや畏怖の念。
この時ばかりは固唾を飲んで、私は義務を忘れた。
圧倒的な芸術は没頭を許す。
我々は些末な自分たちのあれこれを放り出し、ただひれ伏したいんだ。
早く制圧してくれ、黙らせてくれ、恐れさせてくれ、そして私たちを少しでもいい、今この時だけは日常から連れ出してくれ。
そんな夢中を超えた無我に、連れてってくれるものを私は探しているのかもしれない。
ジャニーズのステージも小説も音楽も、あっという間に私をさらってくれるものを待ってる。
特に信じる宗教はないけれど、私はそこに神性が宿ると信じているのかもしれない。
羽生くんを見てる間は免許のことは忘れた。