さすがにアヒージョ

最愛の人が何人もいるタイプ

ショックがとけた感想のシチュー

 

 

台風だしジャニーズの皆も今日は休みになっていますように。

撮影とかさすがに休みだよね、とおまけのように願っていた。

 

 

 

癖で特に目的もなくツイッターを開く。

 

 

 

 

「みんなが推してるアイドル、今日はセックス三昧だと思うよ」

目に飛び込んできたツイート。

 

 

一瞬で腹がズンと重くなる。鈍いショックで体が下に引きずられる。

心の底からツイッターなんか見なきゃよかったと思った。

 

 

 

 

別に付き合いたいとかやりたいとか全然思ってない。

それでも自分が好きなアイドルが今日はセックス三昧だったかもしれないということは地獄。

 

 

 

 

なんでだろう。

ちょうど先刻まで読んでいた又吉の小説

「太宰があんなに人間失格で処女性にこだわっていたのは何故だろう」と語られていた。

 

 

 

あの行為というのは現実と切り離されてただの獣。

身体的な満足に支配されて心まで満たされる錯覚。

いつもキラキラ歌って踊ってキュートでかっこよくて皆を丸ごと愛してくれるアイドルが、

行為中は一個の獣としてたった一人を相手に反復運動に身を投じている。

私もその閉鎖性を知っている。あの時間だけはすべてシャットアウトされて一色になってしまうこと。完全に馬鹿馬鹿しいながら当人たちだけのシリアスに覆われていること

個人性の極みだということ。

 

 

 

あーあ、皆が「一人ひとり」の集団にいっせいに絡めとられてる。

台風憎い。

 

 

 

自分がどう過ごそうと世界は動き続ける。

人の動きは止められない。関与できるのは自分だけ。

一瞬も休むことなくそれぞれの選択と生活は進んでいる。

世界は常にパラレルと認めなくては。

 

他人の言葉を借りてしか話せなくなるのが怖い。

憧れてた感覚を通してしか物事への判断が下せなくなる。

今主流の感覚はこうだから、絶対にこうするべき。

賛同して賞賛して自分まで元からそんな風に思ってたんですよ、と名乗るのは怠慢。

どんなに素晴らしい人を褒めたって自分はその人になったわけではない。

素晴らしい人を応援している私はまたも素晴らしい人なんです。とはならない。

 

もっと自分の感覚に耳をすませて言葉にすくいとってやらないと。

そうじゃないとどんどん自分に鈍感になる。

 

自分なのに膜の奥に行ってしまう。