さすがにアヒージョ

最愛の人が何人もいるタイプ

キラキラ休業


「美しけりゃいいってもんじゃないと思ってさ」雑談中口をついた自分の言葉に面食らった。どうした。なんか相当疲れてないか?貴重な心理状態であり、本当にそんなこと思ったのか私、という真意を探ってみた。


昼間はトゥバを見て、あぁ美少年アイドルはいつまでもメルヘンな世界観を体現してほしいな、と欲望全開になっていた。その後BTSのMic DropでJ-HOPE氏の怖すぎる雰囲気を再確認したり、「ジミンがチーマーだったらテテも迷わず加入しちゃうだろうな」とリベンジャーズの読み過ぎによる妄想をしたりと盛り上がっていたのだ。


それなのに。なんか疲れちゃってるのだ。

YouTube開いた時に無数に広がるサジェストはどれももう見たい気がしない。まぁそもそも普段から見過ぎで飽きてるという当然の前提はあるかもしれないが。選べない。


激しいものへの疲れがある。過度に美しかったり、素晴らしいものが今の私にはもたれる。

おかゆしか食べられないのにカツ丼頼んで一口目で無理を悟るような。


これまで私は圧倒的な輝きに陶酔することで精神のありったけを揺らしていた。

毎日ごはんを食べて日常生活を送れるだけの体力が人には備わっていて、歩いたり働いたり遊んだり生活の色々ができる。逆に言えば体力があってもじっと動かなければそれは持ち腐れていく。

精神もそうかもしれない。考え、喜怒哀楽する機能がある。ただ、人は日常で感情を炸裂させることってそうないんじゃないだろうか。ドラマじゃないから激しく言い合うこともないし、大喜びして道で踊り始めることもないし、うっすら悲しくても毎日泣き喚くわけでもない。それでも本当は激しく振れ幅があるいちもつを誰しも持ってる。日常生活では入ることのないスイッチがアイドルのパフォーマンスを見ることでオンになる。抑え込んでいた感情が行き場を見つけて、大喜び街道をひた走り始める。アイドルの姿はいわば感情活動の装置なのだ。日々食い止められて鬱血しているものたちは解放を求めている。


以前の私は裏話や逸話を知ることはただうれしかった。あぁそんなにこの人は頑張っていたんだ、と好きな人を一層まぶしく感じたり、それほどまでに労力をかけられたパフォーマンスに敬意を覚えた。深く考えずただすごい、といつも見上げていたかったのだ。憧れを強化したかった。でも今はもうなるべく聞かないようにしようと思う。それほどまでに血汗涙が滲むものと聞いてしまったら、もう無邪気に楽しむことができないからだ。私がソファで寝転びながら、遅い昼ごはんを食べながら、もしくは友達と軽口を叩きながら見るものの裏で、ものすごく絞られている気力体力があるかと思うと無理なのだ。人が人の姿で楽しむことの業がたまにこうして顔を覗かせて、それに気づくとぐったりしてしまう。もうしのぎを削らないでほしい。


ゴタゴタ言ってるけどたぶん燃え尽きの正体は以下。病み上がりで気力が万全じゃない、最愛のBTSが休暇で感情のやり場がない、二軍応援のセブチの好きメンのやらかし疑惑による微ハートブレイク、オリンピックを見過ぎていてストイック疲れしている等々。


じゃぁ見るのやめろよ、って一言で終わっちゃうけど、熱狂がデフォルトだった身からすると寂しいのだ。この状態は。それでもたぶんキャパオーバーのようなので、キラキラは休業する。もうしばらく川の鴨でも眺めてようと思う。あとはインド楽器シタールの演奏を見ながらぼんやりストレッチしてる。色々カムバしたり元気になったらまた簡単に騒ぎ出すだろうけど、私にとっては珍しいこの平熱の期間をそれはそれで味わっておきたい。