さすがにアヒージョ

最愛の人が何人もいるタイプ

路上のミックスベジタブル

家を出ると道がサラダだらけになっていた。ここぞとばかりにカラスがあちこちから大集合して、どんどん袋をつつき回す。引きずり出された千切りキャベツは一本単位で争奪戦となり、路上の治安は悪化の一途を辿っていた。仕方ない。今日は遠回りしていこう。

 

電車の席に腰を下ろすと、今まさに一つ隣の席の人のカバンから飴が一粒こぼれるのが見えた。隣の席にはちみつキンカンのど飴。どうしよう、これ落ちましたよって声かける?でも飴の袋触られたらもう食べたくなくなっちゃう?もういいや、しらばっくれよう。どうせ次に来た人が気づくでしょ。ところが、あえなく飴は新しい人のお尻の下に消えた。あっそんな。しかしその人もお尻の座りにどうも違和感があるのか、二、三度立ったり座ったりを繰り返した。そりゃそうだろうよ、今あなた飴を踏んづけてるんですよ。でっぱりが伝わってきませんか?渾身の念を送るもむなしく、隣の人はのど飴を踏んだまま定着してしまった。あぁ。

 

行きに見かける謎の店を今日こそ検索しようと思う。しかし帰り道にはすっかり忘れている。この店が定休日で閉まっているのか、それとも永久に開くことはないのか。そこを通る時しか思い出さない。この街はタクシーがスピードを出し過ぎていて、すれ違うたびにこれに轢かれたら死ぬな、と思う。

 

帰り道、空を見上げるとオリオン座が冗談みたいによく見える。毎日整然と並んでる。私だったら今日はもうちょっと隣の星に寄っちゃおうとか変化をつけるのに。律儀だ。

 

一人掛けソファを買ったらお尻に根が生えて帰宅後はYouTubeを見っぱなしになってしまった。ずっとNCTの動画を見続ける。集中力を人質に取られたみたいだ。その間絶え間なく私の感受性はアイドルの良さを言語化するためだけに動いている。これを続けていたら自分が少しずつ薄まる気がする。少し怖い。ただ、湧き上がる気持ちのレパートリーを一つでも多く収集するためにも、現象の触媒としてのアイドルを見ることは私に必要なのだ。それに、昼間に疲れた脳へ思う様好きなものを見せてやりたいじゃん。

 

とは言え、自分がスポンジみたいな空洞になっていく気がするのも事実だ。もっと内側に降り積もる何かを緻密に記録していくようなことが必要。味わった感覚で覚えておきたいものは言葉にして保存しておかないと。以前「オリジナリティーのある生き方をしていこう」と突然決心したことを思い出した。それは奇抜な生き方をしたいとか、突拍子もない冒険をしたいとかではない。ただ、普通は見逃す自分の内側のことを大切にして、基準にハマる安心に安易に逃げずにいたいということだ。私はうっすらはみ出すことが多いけど、その分誰にも真似できないことをできる。たまに。

 

ずっと手を動かし続けたら長いマフラーが編み上がるように、生きていれば勝手に自分だけの形になっている。平凡でも非凡でも構わない。