どのくらい動揺していたかというと、歯磨き中のものを少し飲み込んでしまったくらいだ。
ここ数日ようやく「あの時ああしていれば」ループから降りられた気がする。
それでもまだ心は簡単に沈む。重りがついているように放っておくとするするあちらへ降りて行ってしまう。
不意に心の一部に蓋が降りて息苦しさを感じて、咄嗟に部屋を飛び出した。新聞に載っているあのシーンを見に行こう。
前の日の夕方、なんとなくつけていたテレビに彼はいた。以前地元の商店街に来ていたこともあるらしい。名前に近しいものを感じていたことも手伝い、気持ちばかり彼の味方をすることにした。対戦相手は格上だし、せめて彼には無様すぎない程度の負け方に留めてほしい、という志の低い応援。
期待度の低さに反してくんずほぐれつ粘った彼は格上の相手もろとも落ちて行った。審議の結果、取り直し。先程の長い膠着状態でさぞ消耗しているだろう。今度こそ厳しいかもしれない。
勝負は一瞬だった。
あぁっ!と声が出て気づけば拍手をしていた。張りに張っていた予防線をいとも鮮やかに覆された。ハッと不意を突かれ、慢性的にぐずついていた胸の中に爽快感が流れ込んできた。
写真にはその時の彼らの姿が完璧に収まっている。迷いなく一瞬で刺した彼と、吹っ飛ぶ格上を。私は丁寧にその記事を切り抜いて壁に貼った。憂鬱の予感がすればその写真を見つめる。前へ!投げる方向はそっちだ。
以来、私は彼を応援している。彼が頭から落ちた時は本当に血の引く思いがしたが、毎日彼は善戦している。たとえ横綱相手にも。粘って粘ってあきらめない。簡単に負けたりしない。
胸のすくあの一瞬にまた出会いたくて、明日も見るだろう。春場所は始まったばかりだ。